名目成長による債券価格の下落と名目税収の増加が国の債務踏み倒しというのは正しいのだけれど、重要なのは民間と民間の債権債務関係の強度も国債の利子率に依存せざるを得ないということ。住宅ローン金利は国債の長期金利に依存することは住宅購入を考えたことがある人なら誰でもご存知でしょう。

先進国の貧乏はただひたすら惨めであるということである。

先進国の貧困は飯が食えないということでもない。先進国の貧乏は太ってるわけだ。金持ちほどジム行って痩せてる。

ワタミの社長みたいなのに限って「労働者をバカにするな」と言うがその実のところ安い賃金の人間の承認欲求を表面的に満たすことで私服を肥やす単なるポジトークに過ぎない。結婚や子供が減っているのも同じような構図の問題を抱えているのではないだろうか。

橋下さんの政策に快哉を叫んでいる人たちも,その発想をどんどん突き詰めていくと共産主義に近づいていくよね。共産主義を支えていたのは「持てる者への憎悪」なんだから,基盤は同じなんだよね。

「承認欲求」を満たすためにはお金は意味(効果)がない、っていう言説をときどき目にするけれど、外見なり知見なり教養なりなんらかの「魅力」が形成される過程で、「お金」って消費されてることが大半なんじゃないの?違うかなぁ。

現在において多くの『普通』の個人が取り得る戦略の中で最も有効なものは、国政・県政・市政のどれにも過度の期待をする事なく、社会を変えよう政治に影響を与えようなどと考えず行動もせず、ただ与えられる環境の中での最適を選び、その先の情勢を予測してその最適を選んでいく事だろう。

国家という絶対暴力が眼を覚ました時には「論争」なんかでいくら正しくても何の意味もないんだぜ。君は、その時になって初めて議論は格闘技と異なるのだと悟るだろう。初めて言葉が常識と信頼を失った世界の個人の首根っこをつかんで無理矢理部品として消費する「国家」という怪物の正体を知るだろう

プロレタリアートは、まずもって政治支配をかちとって、民族的階級にみずからをたかめ、自分自身を民族として組織しなければならないという点では、ブルジョアジーの意味とはまったくちがうとはいえ、プロレタリアート自身やはり民族的である。(共産党宣言)

純粋な人間と付き合う、というのは普通の人間にとってはだいたいが身の破滅の始まりであって、碌な事はない、とたいていの人間は知っておる。


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